前回から1週間が空いてしまった。すみません。と言ってもまだ誰もこのブログを読んでいないはずなので良しとしよう。
今回も引き続き生徒指導の本質というテーマで自分の意見を書こうと思う。前回は「日本の教育界に本質を考えて生徒指導を行っている教師はどれくらいいるのだろう・・・」と書かせてもらった。まず、「生徒指導の本質」が何かをわかっている教師がどれくらいいるのか。前回のブログで生徒指導提要について触れたが、そこに書かれている生徒指導の定義、目的、そしてこれまでの私の経験を総合して、シンプルにまとめさせてもらうと、生徒指導とは、「児童生徒を前向きにする指導」であり、もう少し詳しく書くと、「児童生徒を将来に向かって前向きにさせ、自分の強みを理解させ、自分自身で伸ばし、社会で活躍する人間になっていくのを支えること」である。人間は前向きになっていければ勝手に成長する生き物である。そして前向きに成長した人間は社会で働き、社会貢献も行う。私達教師は前向きになるようにアプローチをかけるのが仕事である。そしてそれが本質なのだから「この生徒が前向きになるためにどうしたらよいのか」ということだけを考えるべきなのである。
考えて欲しい。
「金髪の生徒の髪の毛を強制的に黒くすることで、その生徒は前向きになれるのか」
「何回も同じことを繰り返すが、とりあえず謝罪させることで、その生徒は前向きになれるのか」
「列を乱さず、体育座りで、当たり前で面白くもない話を黙って聞くことができるようになることで、その生徒は前向きになれるのか」
「不要物と言われる勉強に必要のないものを持ってきて、取り上げて保護者に返すことで、その生徒は前向きになれるのか」
「服装違反を正すことで、その生徒は前向きになれるのか」
どうだろうか?私の答えはNOである。これらは教師が生徒を管理しやすいようにすることが目的であることが多い。
これらの指導が前向きにさせられることではないことはちょっと考えたらわかることだ。ルールを破ったり、前向きにがんばれない生徒は理由があってそうなっている。その理由に目を向けずに、見た目だけを改善させようと指導している教師は多いはずだ。そしてそのような指導を受けた生徒は渋々従うか、反抗したり、何度も同じことを繰り返すかである。しかし、実は困った生徒は困っている生徒なのである。
なぜルールを守れないのか。なぜ問題行動を起こしてしまうのか。なぜ学校に来れなくなってしまうのか。20年ほどこの仕事をしてきて、そのような生徒の共通点が明確になってきた。次回は生徒指導の本質Ⅲとしてこの「共通点」について考えを述べることにする。
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